なぜ同じ東大卒でも、有能な人間と無能な人間に分かれるのか

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 「桜を見る会」問題は相変わらず続いているが、自民党は国会の会期延長をしないので、この問題もすぐに冷めるだろう。

 一億総アルツハイマーというとアルツハイマーの人に失礼なので使いたくない言葉だが、この国の人間の物忘れは恐ろしい。

 森友や加計問題はともかくとして、たとえばかつての小渕優子公職選挙法違反まがいのことは誰もが忘れているはずだ。

 代々、政治家の家に生まれると、親から「国民はみんな忘れてくれる。とにかく適当に時間を稼いで、時が過ぎるのを待て」と教わるのだろう。

 嘘をつくのが恥ずかしいことだと思えば失脚するが、どうせ国民は忘れるとタカが括れる人間は政治家をずっと続けていられる

 私の関心事の一つに立証責任というものがある。

 たとえば贈収賄事件の場合、日本の法律では検察側が賄賂性を立証しないと裁判では勝てない。お金の受け渡しが明らかになっていて、その上、どうみても便宜を図っていても、「偶然」で通してしまうと裁判で勝てないことがある。

 金をもらっている側が「賄賂でない」という立証責任を負うようにすれば、話は違ってくるだろう。その上、どうも日本は検察と国税が仲が悪いらしく、金をもらっていて申告していなければ脱税で上げればいいのに、そんな話はめったに聞かない。

 殺人にしても、殺意を検察が立証しないと、傷害致死になってしまうことがままある。人を殺したのだから殺意がなかったことを殺した側が立証できなければ殺人ということにすればいいのに、そうはなっていない。

 今回の「桜を見る会」も同じことだ。

 税金を何に使うかを決められるのは政府与党側なのだから、本来は、やましいことに使っていないという立証責任は政府与党側にあるはずだ。

 ところが、野党がちゃんとした証拠をつきつけないと門前払いのような扱いを受ける。

 予算の執行者側がやましくないことを立証できないといけないようにしておけば、資料の廃棄などとてもできないはずだが、野党側が証拠をつきつけないといけないので、平気で資料の廃棄が行われる。

 立証責任の問題を、一度真剣に考えないといけない時期がきているように思えてならない。

 日本の現行刑法は明治40年に制定されてから、マイナーチェンジはあっても大筋は変わっていない。明治時代に制定されたものなのに、新刑法と言われている(ちなみに旧刑法明治13年制定)。

 憲法が古いというのなら刑法のほうがよほど古いし、代用監獄が当たり前に使われている国は先進国では日本だけだ。

どこの大学を出ていても、できる奴とダメな奴がいる  さて、森友のときも、今回の桜を見る会の問題にしても、官僚のやることや答弁があまりに情けないという声が強い。

 誰が見ても嘘に思われるような答弁をし、また話が二転三転する。

 子どもの教育に悪いこと甚だしい。

 道徳教育を推し進める安倍氏はこれをどう思っているのだろうか?

 こういう姿をみて「東大を出ていてもダメな奴がいる」と思ってもらえればいいのだが「東大出はやはりダメ」という話になると、子どもの動機を削いでしまう。

 もちろん東大を出ていることで得をしている人は「彼らは例外。ちゃんと勉強しないとダメ」と子どもに教えるだろうから、だまされるのは庶民だけだ。結局、これが庶民の子が勉強しなくなる原因となり、格差を作ってしまう。

 当たり前のことだが、どこの大学を出ていても、できる奴とダメな奴がいる。

 はっきりいって、佐川とかいう前の国税庁の長官にしても、今回の内閣府の官僚にしても東大出の中のダメな奴だ。

 仕事ができるから出世をしているというが、上から言われたことができるだけだろう。この30年不況をみてもわかるように、日本の官僚が仕事ができると思えない。政治家が頼りないから、官僚が政策立案をするわけだが、斬新なアイディアが出せず、日本を変えられないから、アジアの諸外国にもいろいろな分野で負け始めている。

 本当に仕事ができる人間なら、はるかにいい条件で民間や外資に引き抜かれるのだから、あんな恥ずかしい姿を、テレビに映るというのにさらすわけがない。さっさと本当のことを言うか、この手の情けない答弁をさせられる前に、辞職して転職しているはずだ。

 佐川なる人物も、再就職の話を聞かない。

 要するに無能なのだ。

 では、なぜ同じ東大卒でも、有能な人間と無能な人間に分かれるのだろうか?

 私は、東大に入る人間には2種類しかないと思っている。

 一種類は、親や学校や塾の言いなりになって勉強して、たまたま勉強ができて東大に入る人間(通常は学校の言いなりの鈍臭い勉強法では東大に入れないが、異様な努力や記憶力で入る人間もいる)。

 もう一種類は、学校や塾の言いなりにならず、勉強法を工夫したり、勉強法の本を読んであれこれ試してみて、自分に合った勉強法を見つけて東大に受かる人間だ。

 昔は半々くらいいた気がするが、今は私の勉強法の本も売れていないので、前者が7割、後者が3割くらいだろうか。

 もちろん、前者のほうは大学に入ってからも教授のいいなり、でもそのほうが優がたくさん取れるので、官僚などになってしまい、結果的に、そこでも上の言いなりの忖度官僚になるのだろう。

 たまたま家でワイン会をやっているときに、私の本を読んで無名校から慶応に入り、外資のトレーダーとして大成功し、自分の子どもの教育に専念するためにさっさと仕事をやめ、投資家をやりながら子育てをして、それなのに私の何十倍か何百倍も稼いでいる人に出会った。

 こっちが恥ずかしくなるくらい、私を尊敬しているといい、一生の恩人ともいう。

 教育論でも意気投合したのだが、安倍氏に対する評価は私とは真反対だった。

 私は安倍氏の経済政策は金持ちしか得をしないし、外国と比べて恐ろしいほどの低成長なのだから、誰でもいいから変えたほうがましと思っているが、彼は、やはり政権の安定性が大切だという。結局、彼が折れることはなかった。

 私も考えを変えなかった。ただ、私は、これは素晴らしいことと思う。塾の言いなり、学校の言いなりでいい大学に入った人間は、結局、こういう際でも、自分が偉いと思っている人の言いなりになってしまうだろう。

 私の勉強法で名門大学に入った人間は、そもそも教師のいうことなど聞くなと言っているのだから、そんな風にならないようだ。

 おそらく信者のように一字一句私のやり方に従うのではなく、アレンジもしたのだろう。

 勉強法を工夫して大学に入った人間は、それを通じて考える力をつけるようだ。少なくとも、上のいいなりにならない姿勢は評価できる。

 実は、12月6日発売で、私の小説デビュー作(『受験のシンデレラ小学館文庫は、映画からノベライズしたものなので、小説とは考えていない)『灘校物語』(小社刊)が出た。

 私の灘中、灘高時代の苦闘を描いた自叙伝的小説だ。

 テーマは、勉強しか取り柄のない子どもが、その取り柄もなくなった際にどう悪あがきをするかという話だ。

 最後は、受験テクニックを編み出して東大理3に受かるという話だが、当時の私は、そんなのペテンとしか思えなかった。

 カンニングはしていないが、ズルをして受かったとしか思えなかった。

 ただ、一般の公立の高校の連中は、そのズルの仕方を知らないだけと思ったので、罪滅ぼしのつもりもあって、「学校の言うことなど聞かずに、テクニックを身につければ受かるよ」ということを伝えたくて、『受験は要領』(PHP文庫)という本を書いた。

 これが大ヒットして、その後も受験稼業に足をつっこむわけだが、この10年くらい、ちゃんと勉強して大学に合格するより、テクニックを探すほうが、むしろその後の生き方にいい影響を与えると思えるようになった。

 たとえば仕事で行き詰まったとき、自分は才能がないと思うより、自分のやり方が悪いのではないかと思えるほうが、たとえば営業なら営業のテクニック書を読むことで、あれこれ試しているうちに打開が図れるだろう。

 よく名門校から東大に入って、さらに財務省に入った人が、次官レースに敗れて悲観してうつになったり、最悪自殺するなんて話を聞くが、ほかに幸せになれる方法があるはずだと思えれば少なくとも最悪の事態を避けられるし、うつにもならなくて済む。

 受験勉強で考える力というのは、目の前にある問題を考えることができる力ではない。

 そうではなくて、その問題が解けなくてもどうすれば受かるかを考える力だ。

 学校の言いなりにならず、自分の能力を分析し、志望校の問題を分析し、その上で、どうすれば志望校の最低点を取れるかを考える。こういう体験を受験生の時にしておけば、将来必ず役に立つはずだ。

安倍氏の無能さは、小中高大を受験しなかったことに起因?
 安倍首相は29兆円もかけて景気対策をするというが、たぶんうまくいかないだろう。

 これまで散々、財政政策と金融政策をやり続けてきて景気がよくなっていないのだから、ほかのことを試せばいいのに試さない。

 これは安倍氏が、小学校も中学校も高校も大学も受験しなかったことに起因するのだろう。さらに、周りの優秀なブレーンも勉強法の工夫でなく、教師の言いなりで勉強していた東大卒や東大教授なのだろう。

 私は頭の悪い奴はそんなにいるとは思わないが、頭をちゃんと使わない奴はいっぱいいると考えている。

 勉強法の本が売れなくなって久しいが、塾任せのバカ親が増えていることは、その点で憂えている。

 12月5日にラジオに出ていたら、大学入学共通テストで、国語と数学の記述式の実施の延期というニュースが入ってきた。与党側が提言を出したというが、その方向になることだろう。

 英語の民間試験の導入中止も含めて、これでセンター試験の改革はほとんど前と同じということになる。

 採点の公平性以上に、記述式のほうが思考力や表現力がつくという思い込みからの暴走だろう。大規模テストでこれをやると数学だとユニークな解き方で正答を出す天才が受験で失敗することになるし、国語だとつまらない模範解答を強いられることになり、かえって表現力を損なう。

 英語にしても4技能のテストを課せば4技能が伸びるという考えは甘い。

 ものすごくできる人を除くと、4技能を課すことで、4技能とも中途半端になる。英語の授業時間を増やさずで、聞く話すの授業時間を作ると、読み書きがかえってできなくなる。

 もちろん安倍氏にとっては、旅行レベルの英会話はできるが英語が読めない国民を作っておくほうが、都合がいいのだろう。

 海外では、安倍氏の評価が低いどころか無視されている。

 どんどん日本の国際的地位は下がっている。長く続けていれば政治的プレゼンスが高まるなどと言ううそを国民は信じているが、日本の地盤沈下が続く中、相手にされない国になりつつある。

 英語が読めない国民を作ることは、為政者にとって好都合なことなのだ。

 ついでにいうと、読めないのは英語だけでない。

 先ごろ発表されたPISA調査の結果では、日本人の読解力(もちろん母国語のもの)は15位に急落(3年前は8位)の体たらくだ。

 日本語も読めず新聞も読めないほうが、テレビはすべて安倍氏に忖度しているので都合がいいのかもしれないが、国力にとっては深刻な問題だ。

 政府に忖度するので有名な読売新聞では数学と科学はトップレベル維持と書いているが、両方とも順位を落としているし、中国を含むほかのアジアの国に負けているのは、日本にとっては軍事的なこと以上に脅威だ。

 誰がやっても、日本の政治は大して変わらないだろうから、せめて愚民化教育をやめてくれるような人に、次の総理をやってもらいたい。

和田秀樹(わだ・ひでき)

1960年大阪府生まれ。東京大学医学部卒。国際医療福祉大学心理学科教授。和田秀樹こころと体のクリニック院長。「I&Cキッズスクール」理事長。一橋大学経済学部非常勤講師。製作・監督した『受験のシンデレラ』はモナコ国際映画祭で最優秀作品賞(グランプリ)を受賞し、『「わたし」の人生 我が命のタンゴ』もモナコで4部門受賞、『私は絶対許さない』でインドとニースの映画祭で受賞するなど、映画監督としても活躍している。 

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