梅宮辰夫が役者になった目的4つ いい女を抱く、酒を飲む…

 月額100円(税抜)~/容量最大400GB/ロリポップ!

 2019年12月12日にこの世を去った梅宮辰夫さん(享年81)。梅宮さんにとって遺作の著書となったのが現在発売中の「不良役者 ~梅宮辰夫が語る伝説の銀幕俳優破天荒譚~」(双葉社)だ。自らの映画人生とともに伝説の役者たちとの交流がつづられた珠玉のエピソードの数々を一部再構成してお届けします。

 東映時代は「夜の帝王」なんて軟派役者の代表のように言われていた俺だけど、学生時代は硬派で鳴らしていたんだぜ。

 高校は早稲田高校。入学するや自分で剣道部を創設し、3年間主将を務めた。男子校だから女っ気は一切なし。セックスどころか、女の子と手をつないだこともない。そもそもデートしたこともなかったんだから(笑い)。

 そんな俺が童貞とオサラバしたのは大学2年、19歳のときだった。よく行く銀座の寿司屋で、ホステスにナンパされたんだよ。石原裕次郎さんの「嵐を呼ぶ男」を見に行き、その帰りに彼女の誘いで新橋の旅館へとシケ込んだ。昔は「逆さクラゲ」って呼ばれた連れ込み旅館だよ。今なら、ラブホテルか(笑い)。

 俺にとっては記念すべき筆おろしだったんだけど、うまくいかなかったねぇ。なにしろ当時はアダルトビデオどころかポルノ映画もない時代。事前の知識はゼロだった。

 俺は男性自身を真上から突けばいいもんだと思っていた。だから、何度やっても穴に入らない。入るわけないよな。相手の女も少しも誘導してくれないし、結局、30分以上奮闘して、ようやく穴を探し当てた(笑い)。

 なるほど、こりゃあ気持ちいいな……それが童貞卒業の正直な実感だった。いずれにしても、この日をスタートラインに、俺は幾多の女たちが待ち受ける大海原へと漕ぎ出したというわけさ。

 人に勧められるまま俺が東映ニューフェイス試験を受けたのはそれから間もなくのこと。昭和33年。映画人口が11億人とピークを越えた年だった。当時の日本の人口が9200万人だから、単純計算しても日本人1人が年間12本の映画を見ていたことになる。映画はまさに娯楽の王様であり、そこに君臨する人気俳優は銀幕のスーパースターだった。

 当然、ニューフェイス試験は狭き門。後で聞いたら、応募者は3万人以上いたらしい。書類選考に始まり、セリフをしゃべらされたり、身体検査をしたり、5次試験まであったのかな。合格者は俺を含め21人。その後、研修を終えると、当時は時代劇専門だった京都撮影所に行くか、現代劇の東京撮影所に行くかを決めなくっちゃいけない。俺は迷うことなく東京を選んだ。だって、カツラをかぶってチャンバラするなんて絶対嫌だったから(笑い)。

 その頃の東映は時代劇映画がドル箱。だから京都には片岡千恵蔵中村錦之助大川橋蔵といった時代劇スターが綺羅星のごとくそろっていた。一方の東京撮影所でつくる現代劇はスタッフも予算も少ない。京都でつくる映画はカラーなのに、東京は白黒ってこともよくあったよ。  でも、俺は時代劇スターになりたくて、この世界に入ったんじゃない。もっと言うと、芝居のうまい役者になって人に評価されたいとか、賞をとりたいなんて考えたこともない。俺が役者になった目的は次の4つ。

①いい女を抱くこと
②いい酒を飲むこと
③いい車に乗ること
④きれいな海が見える一等地に家を構えること

 一応4つとも実現したかな。その意味では、俺は幸せな映画人生を送れたと思うよ。 

国内最速・高安定の高性能レンタルサーバー【ConoHa WING】

至高の一杯、最高級品質の青汁「恵みの麹青汁」

しみとり